バッテリー切れ

昨日は一日Treoのバッテリーが切れておりました。いやあ、困りました。これだけ自分の情報がTreoに依存していたのかと思うとびっくりというかまあそうかというか。予定一つ確認出来ないし、逆に自分の頭に予定がほとんど残っていない、本当に外部記憶装置と化している状態です。まあ、それだけ複雑多岐な情報を平行して処理している自分に気づき、この疲れに妙に納得する変なきっかけにもなりましたがやはりこうした優秀なガジェットが人間の能力の一部について飛躍的にそのキャパシティを拡大する一助になっているということを痛感するなり納得するなりという一日の終わりでした。果たしてそれがいいことなのかどうなのかは取りあえずおいておいて、こうしたガジェットを使う使わない、または使いこなすという意味は確実に存在するのだな、と改めて感じたのでした。と同時に、使いこなすために如何に自分が目的を持ってガジェット達を支配下に置くか、そして、ガジェット達と時にはコラボレーションするか、という事も意外と意味のあることなんだなと、通信機能が貧弱なTreoを前にしてなんとなく思ったりの時間を持ったのでした。

新しいのが欲しいのを正当化するいいわけだろうか(w