コミュニケーション手段

最近あらゆるところであらゆる形態のコミュニケーション手段が高度に発達していますが。みんなどうやっって管理しているのだろうか?管理というとちょっと大げさだけど、情報の蓄積的な部分とか、もちろんすべてが必要な訳ではないけど、必要な場合とか、なくはないような気がするのですね。なにがいいたいのかというと、自分の中にあるITの高度化とは人間の能力における選択と集中がある理想的な形で実現することかなあと思っていて、まあ、実際に業務だとそれはかなり一生懸命考えるのだけど、趣味やプライベートの中で限られた時間の使い方を含めてみんなどうしているのかなあと。自分としては合理的にできるモノは極力していって、より高度で(自分にとって)高価値なものへ、または高重要性、高必要性のものへ資源を集中的に投資したいと思ったりするのですが、って別に友達つき合いに合理化を求めたいわけぢゃなくて、何となく分散している一方のコミュニケート手法についていけてないのかなと、ふと考えただけ何すけどね。まあそれはそれでいいんですが、その昔NewtonMeesagePadという機械がありましたが、そのデータベースは確か「SOUP」
と呼ばれ、データの形式が、またはデータは管理することが重要なのではなく、いかに高効率にアクセス可能な状態にあるか、といったことが指向されてされていたように記憶しており、それはつまり人間の能力の効率化と分散化をベースとした選択と集中によるより高次元への希求の現れが具現化したものとして、当時狂喜乱舞したような気がするのです。結果そうしたものは現実おそらく検索技術とネットに昇華され、今のテクノロジーに合流しているような気がしますが、ではそれとモバイル「端末」は、また一体どういう関係にあるのか?という個人的な命題というほどでもない疑問に何となく無限ループの思考が繰り返されていたような気がします。結局ActiveSyncにさいなまれ、Outlookのデータに翻弄され、パスワードの管理、物理的な障害、体力的負担とのバーター、多様化への疲弊、となんだ高度化とは人生において大きなハードルでしかないのかという幻聴にふらふらになりかけていたんですが、そんなこんなでつまるところOfficenailさんの新しいソフトに期待していたりする訳です。草々。

  • -

from i780