思想あるものに共感したいよね〜Foleo

http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20350707,00.htm
だんだんとカテゴリーも機能もおおむね目的や結果を同じくするものが増えてくると、やはりそこには思想の有無が大きな意味を成すような気がします。同じWMスマートフォンでもなぜTreoが違うのか、ということが大きな意味を持つことなのでしょう。そこへ今回さりげなく姿を現したFoleo。一見するといったいなんのことやら、という気がするのも無理はないですし、実際私もこれをどうしろと?といったファーストインプレッションでしたが、この記事を見て、ちょっと行く末またはその成り行きに興味が出てきました。当初より、スマートフォンを主体としたアプライアンスという思想は非常に共感がもてていて、自分の感覚でも、手のひらにあるものがすべての入り口になりさらに出口にになる、インターフェースは最小化して、そこへアタッチメントされるものは複雑化し分業化するという考え方にすごく共感します。あるインターフェースは非常にシンプルに単純化されるべきだし、そこへ接続されるものは多種多様に複雑な組み合わせによる可能性を持つべきだと思ってます。それの何か得体のしれない可能性をもしかしたこの新しい端末は具現化して、そこへの扉を開いてくれるのかもしれませんね。我々はすでに一つのもので自らの複雑な生活や社会を取り扱うことはできないことが実感としてわかってきているし、実際自分や社会の複雑さに比して身の回りのものの構成も複雑であることに違和感を感じなくなっている、というよりも今のままではそれが当たり前だと思っているように思います。しかし、本当のブレークスルー、本当の思想、本当の哲学はまだまだ実際に我々の目の前には現れていなくて、ただただその可能性だけが限られたモノたちによってちょっとだけ感じられる状況にやっとこぎ着けたような気がしています。その最短距離であり、かつ実際に我々にそのリアルな姿を見せてくれているのが実はホーキンスの一連のプロダクトなのかもしれないのですね。なんか大げさに考えすぎかもしれないけど、彼の思索の果てにあるものに、触れていきたい、と思わせる魅力がこの記事なり、このプロダクト(Foleo)にはオーラとして感じられますよね、とか思っているのは私だけかな?(笑