iPhoneが、Appleが本当に破壊した(のではないか)と思うもの

ソフトウエアビジネス、なのではないでしょうか。破壊してしまった、または、破壊したかったのではないでしょうか。既成概念や既得権を。
Steveが本当に考えていたのは、パーソナルコンピューターのソフトウエアビジネスモデルなのではなかったのか、と今おぼろげに思ってます。
その端的な事実に思えるのが、iWorkiPadへの提供と、その価格、です。
9.99$。なにそれ?とは思いませんか。なぜMacには素晴らしいソフトウエアが無償でついてくる(まあ、無償という表現はちょっと違うかもしれないけど)のか?
MicrosoftOffice。5万近いパッケージソフトです。ハードウエア一台に一本必要です。巨大権益の中枢です。なぜか。Windowsとハネムーンだからです。すべてがレガシーなシステムです。すべてがスタンドアローンな世界の産物でした。ネットワークとは無縁のビジネスモデルだと言えるのではないでしょうか。でも、時代は既に変わりました。いまやインターネットの覇権はGoogleにあり、それは広告モデルでありオープンワールドであり、すべてがネットサービスに依存したビジネスです。巨大な企業が誕生しました。明らかにMicrosoftの次の世代のIT産業ですよね。
さて、アップルは?全く立ち位置の違うビジネスモデルを持つ企業へと着々と変化を進めているのではないでしょうか。本当にIT革命と上手く付き合ってその代名詞企業として活躍しているのはアップルなのではないか、などと思ってしまうほどその変化は巧みで戦略的に思えます。サービスとハードウエアを一体的に考え、サービスだけのGoogle、ハードだけのその他の企業と一線を画す、本当に分かりやすくアップルという企業をSteveはデザインしてきたのだと思います。そのアップルにとっていつの時代も頭を悩ませてきたのがハードとOSは素晴らしいが、ソフトウエアが絶えず重荷だったのではないかということ。アップルほどの企業といえど、ソフトウエアの開発と流通には、自社の思惑とは別に各企業の協力と理解が必要だったと言うこと。この部分があまりに大きな代償とストレスだったのではないかと思われます。ある意味、アップルにとって最後の障壁だったのではないかと思うのです。
そこに、全く新しいiPhoneというビジネスモデルを登場させた。iTunesStoreという新しい流通形態を誕生させ定着させた。その成功の本当の意味は、パーソナルコンピューター企業でアップルを完全に自己完結させる最後の砦への侵攻を完了させた、という部分だったのかなと思います。
iPhoneのソフトウエア開発〜流通モデルにより、既存のアプリケーションビジネスの姿をまるっきり変えてしまった。アプリケーションビジネスにおける主役を完全に交代させ、結果すべてのフローを自社の手に握ってしまった。この意味が本当に大きく、故にiPadという製品を生み出すことができたのではないか、と思ってしまうのです。
ソフトウエアのあり方を根本から変えてしまった。ネット時代のビジネスモデルとは、ネット時代のコンピューターメーカーのあるべき姿とは、その高い戦略性が今まさに花開こうという時期なのではないでしょうか。すべてはコンテンツという名のソフトウエアである。ハードウエアとOSはそのコンテンツたるソフトウエアに最適化され、そのコンテンツたるソフトウエアはユーザーエクスペリエンスのために最適化されそのユーザーエクスペリエンスはインターネットと密接に結びつき、結果必要なコンピューティングパワーもインターネットから提供される。モバイルもユビキタスも存分なインフラ「パワー」を持ち、その総体がLifeStyleとなる。つまりどれも主役ではなく、でも脇役でもない。どれかだけでも成立せず、でもなにか一つにはまとまらない。それを知っていた、または理解していたSteveが、ただ一人アップルという企業形態に拘り、また巧みにその姿をアジャストした。その結果がここに怒号のように結実していると想像するのは、あまりに信者すぎるでしょうか?何かを生み出すと言うことに敷居がこれほど下がった体験を与えるのは、iPhoneOSを中心としたプラットフォームデザインが初めてのような気がします。
あらゆるしがらみから解き放たれたアップル。既に行く手を遮るものは何も無いのではないでしょうか。